福島でみたもの

福島の塔のへつりでは自然が作る勇壮な景色に感動して
自然の力には敵わないなぁと感じました。
13日未明広島では豪雨による甚大な被害がありました。
亡くなられた方被災された方には 本当に心よりお見舞いもうしあげます。

ある意味自然の力の前では人は無力なんですね。
それを改めて感じたのが 2011年3月11日に起きた東日本大震災。
今回また福島に戻ったのはほんのはじっこだけでも 
自分達の目でしっかり見てみようと思ってたからです。

色々な考えを持ってらっしゃる方もいらっしゃいますので
タダの観光だろ と言われてしまえば返す言葉もありません。
震災が起きた後 直ぐに被災地へ行って何かお手伝いしたのか?
と問われたら 義捐金の振り込みや募金箱に少額のお金を入れただけの私なので。

でも見ただけで終わりたくなかった。
少なくとも自分の言葉で表現できるツールを私はもっているので。
そこでここでほんのはじっこ、少しだけ滞在しただけですが
私の見た福島をここに記したいと思います。

まず写真はありません。
想像以上の景色にカメラを向ける事もできず
ファインダーを通して見るよりもしっかり自分の目で見ておかなきゃ 
と思ったからです。

最初に向かったのは福島いわき市久ノ浜(ひさのはま)です。
街に入ると ここから津波被害地 と言う様な看板がありました。
(はっきり覚えてなくてすいません)
でも私達の見たその被災地は国道沿いでただ空き地が多く 
それでも普通に生活している被害のない街となんら変わらない街でした。

以前に足を運んだ事のない私達には 空き地はいつからあって
そこが本当に被害にあったのか判断が出来ずそのまま通り過ぎてしまいました。
まぁ津波被害地の端っこだから 大きな被害が無かったんだよ。
二人で話してそのまま6号線を真っすぐに走っていきました。

しばらく走ると斜面に崩れた家がそのままに。
瓦が滑り落ちてビニルシートが掛けたままで補修がされてない家 家 家。
黒くてとってもおっきなビニル袋がそこは元田んぼだったんじゃないかな?
と思われる左右の空き地にびっしりと。
黒いビニルシートを被いかぶせそうな シルバーのシートが幾重も列になって
同じ様に田んぼだったんじゃないかな?と思われる空き地に隙間なく。
その奥には集落がありました。
そこで生活をなさってるのかどうか。
遠くすぎて人影を見ることはできなかったのでなんとも言えません。
もしかしてもっとよく注意していれば洗濯物が干してあるとか等で
生活感を感じ取れたのかもしれませんが。

いつの間にか、すれ違う車はあるけど私達の前を走る車の量が無くなってきました。
その代わりパトカーがいたるところ走ってました。
気がつくと「00㎞先は許可証が無い方は進めません」の看板が。

道の駅は閉鎖されそこを警察署として利用してます。
道路沿いにはシャッターが降ろしたままの商店が延々と。
周りをよく見ると歩道は草が伸び放題。
脇道は車道にも草が。
そこは無人の街でした。
なのに信号機はちゃんと赤黄青と変わっていってます。
パトカーが奥の方の街中も居ない街をゆっくり走ってました。
マスクをして運転してるパトカーや東電関係者。

通行止めの一つ手前の交差点を左折して小さな商店街に入ると
車道も歩道も草が伸びた道路。
子供服がハンガーに掛かったまま残ってる子供服屋。
商品が全てなくなって空っぽになったコンビニ。
今月のお休みは 3月○日○日○日と書かれたポスターが貼られた理容店。
窓が割れてガムテープで補強してあるだけのお家。
雨戸があるお家は全て降ろされてます。
黄色の立ち入り禁止のテープが風に揺れて誰も居ないよ
と言ってみたいな事務所。
野生動物が飛び出します 注意
牛が飛び出します 注意 の看板。
でも誰も歩いてません。
静かな と言うか不気味な位に静か過ぎる街でした。
信号機はそれでもちゃんと変わっていってました。
パトカーがやっぱり遠くを走ってました。

福島第一原発の近くだけってことだけ覚えてますが
街の名前は忘れちゃったけど帰路に向かった歩道橋に
負けない!○○町 のノボリを見たら我慢してた涙が。

あの街を見たら原発ってなんで必要なの?本当に必要なの?
と政府関係者、東電関係者の方々に直接聞いてみたくなりました。
政府関係者、東電関係者の方々、原子力安全委員会の方たちは
この街を訪れた事が自分の足で歩いた事があるのかな?
もしそうならばどんな事を感じたのか
とっても聞いてみたくなりました。
 
勿論原発で生計を建ててらっしゃる方もいるので
大きな声で原発反対!とは言いません。
ただしっかり聞いて納得したいなと。

放射能汚染の影響で死んでしまった様な街
(表現が悪くてゴメンなさぃ、でもそんな風に感じてしまったのです)
を後にして元来た道を逆戻りしました。

久ノ浜近くで海水浴場だと思ったんですが
そんな看板を目にしたのでその看板を元に海沿いに向かいました。
海水浴場近くには海産物を売ったり 釣りえさ屋さんとか旅館とか
電柱とか信号機とか看板とかあると思うんですが 
そういった物すらありませんでした。
何もないんです。
胸が張り裂けそうでした。
何も言葉が出てきませんでした。
道路はありました。以前そこを車が走り人が歩いたであろう
アスファルトで舗装した道路は。
でもそこにあったのは あの黒いビニル袋。
街はと言うか家がほとんど見あたりませんでした。
当然誰も居ませんでした。

多分津波で被害にあって整地された土地だと思います。
そこに黒いビニル袋が隙間なく置かれてました。
海が見える所まで着くとやっと視界が開けたけど
それまで黒いビニル袋の街でした。

所どころ残ってる家は壁が剥がれ窓もなく空洞だったり
トタン板が張り付けてあるだけだったり
海沿いに車を走らせてたら
○○中学 県大会出場おめでとう!
の垂れ幕が下がった3階建ての建物がありました。
1階部分の窓と言う窓 扉と言う扉は全てベニヤ板が張り付けてあって
辛うじて運動場と思える場所にはビニル袋は置いてなかったけど
垂れ幕の文字で中学だと解った校舎。
曖昧ですがその周りには民家はなくほんの数棟のビルと
ショベルカーだけだったような。
海岸にはテトラポットが幾重にも積まれ海水浴場としては使えそうにありません。

そのまま海岸沿いに進んでいった先に
海に向かって建ってる3階建ての旅館を見つけました。
本来その旅館は道路からは2階建てにしか見えない作りだと思います。
丁度車からの視線が2階部分だったので。
でもちゃんと3階建てって解りました。
1 2階部分は壁も床も抜けて全て無くなって柱だけ。
3階部分だけが申し訳程度に残ってました。。
しかも1階部分にはあり得ない形で
ガラクタの上に停まってる(転がってる)車が見えました。
津波で壁や窓が壊され1階部分に車が流され
なにもかもさらっていってしまったんだじゃないかと。

凄く怖かったです。
パパさんがいつもよりゆっくり車を走らせてくれたので
こうしてじっくり確かめる事が出来たけど
自分勝手ですが正直もし今またあの津波が押し寄せたらって思うと
その場を直ぐに立ち去りたい様な衝動にかられました。

その街にはあまりにも大量の黒いビニル袋があったので
そこで国道に戻りました。

これが私達の見たもう1つの福島です。
でも津波被害のその後の光景のほんの一部です。
復興は少しづつ進んでいると言うお話も聞きますが
どこが進んでるんだろう?とあの光景を目にしたら
思わずにはいられませんでした。
あの街は あの黒いビニル袋は今後どうなるんだろう?
やっぱり政府関係者に聞いてみたいなって思いました。
そしてあの光景をちゃんと見たのかも。

凄く長くなってしまいました。
出来るだけ解りやすくとは思ってたんですが
取り留めもなく書いてしまったので
解りづらかったかもしれません。
でも最後まで読んで下さってありがとうございます。
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コメント

お疲れさまでした。原発を国が承認したのはいつか、その時の総理大臣はなぜノーベル平和賞をうけているのか、その時賛成した議員は党は?・・・・私の生まれる前の話
今深々と頭を下げている東電職員もきっとまだ生まれていない
そう思うと形ばかりの謝罪もあたりまえかとおもってしまう
もう死んでしまった人間にの遺族に保障求めることもできないし、恩恵受けてきた(たまたま就いた仕事が原発だった)人間たちを探して責任取れと言っている場合ではなく
そんな中途半端な技術を世に送り出してしまった日本人の子孫として、せめて他の国への迷惑が最小限になるためにどうしたらいいか
党の足の引っ張り合いではなく一丸となって対処できないのだろうか
転んでもただでは起きず、廃炉技術をモノにして、世界をリードする日本に生まれ変わってほしいと願うしかできない私です
その為の重要な行動である、自分の目で見るということも余裕がなく出来そうにない私です
尊敬します


勇気を持って行かれてのレポ
ドキドキしながら拝見しました。
ラジャも1年後くらいだったか宮城へ行った時に
海岸方面に行く勇気はありませんでした。
まだ手つかずの様子が手に取るようにわかりました。
画像がなくてもバジルママさんの気持ちが伝わるすばらしいレポでした。

とこさん

もう出来上がってしまった原発。
起こってしまった自然災害。
もう2度と同じ事を繰り返してはいけないんですよね。
だからこそ今一度しっかり考えないと。
私に出来るのはここで見てきた事をアップする事。
そしてしっかり選挙に行って私の考えに近い方を選ぶ事。
少額でも義捐金ボックスにお金を投入する事。
本当にすっごく小さな事ばかりなんですけでどやらないよりは 
後悔したくはないですもん。

ラジャさん

本当にすっごく勇気がいりました。
パパさんの運転じゃなかったら
途中で引き返してました。
声も出ない程頭の中が真っ白になるって
この状態の事を本当は言うんだ、
って思う位衝撃を受けました。
少しでも現地の様子が伝わって良かったです。

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